発泡ウレタンを学び始めてから25年以上の月日が流れました。当初は外資系メーカーの日本法人という立場で先輩方と共に手探りで発泡ウレタンを学んでいました。自社ブランドのエアゾール缶式発泡ウレタンを商品化したり、取引先へのOEM提供など、発泡ウレタンスプレーを専門に様々な業務をしてきました。
正直、もっと良い給料を期待できる仕事やビジネスがある中、なかなか儲からない発泡ウレタンの仕事を続けてきたのか?ふと考えてみました。
自分自身が発泡ウレタンのどういったところに魅力を感じていたのか?
両手両脚をあがき、発泡ウレタンを学び、どういったことを情報発信したかったのか?
過去を振り返ると、その原点や理由は明確に答えることができません。
もしかしたら、「ただ単に発泡ウレタン」だったのかも知れません。
数十年も勉強してきた発泡ウレタンですが、他にやることがなかったから発泡ウレタンの仕事を選んだのかも知れません。
勉強も実践もチャレンジあって失敗と成功ですから、自分で考えたビジネスモデルや物売りの手法も、自分都合で敷いたレールとか固定概念に頑なにならぬよう、常に、自由に発泡ウレタンを学びながらそれを普及啓発で実践してきました。
25年以上、長い間、発泡ウレタンという材料を日本全国に普及啓発を試みてきましたが、何となく私が思うことは「世は真似ばかり」ということです。
私が過去に得意としたビジネスモデルは、ネット通販のない時代の当時では珍しかったファックスでの直販スタイルによる全国販売手法と言えます。もちろん、アマゾンやヤフーショッピングや楽天市場など流行りも無かった時代です。
零細企業が今のようなインターネット通販も少ない時代の社会で、且つ、グローバル化も今のように進んでいない中、発泡ウレタンというようなマニアックな材料を市場に認知させる活動は無謀だったのかも知れませんし、至難だったかも知れません。
私は商売人ではありません。
そう、時代が10年早かったのでしょうか。
今、初心者は何かと発泡ウレタンを断熱材として語ろうとしますが、性能的に多目的という特性上、発泡ウレタンは大手企業のような組織的な販売手法での普及活動だけでは、市場底上げはできない材料です。
私の時代では「人」によるアナログ的な販売法が重要でした。
結果、私は北海道から沖縄まで日本全国の多くのお客様と直接お話しすることもできました。感謝しています。
仕事を通じて全国の顧客からいろいろな用途の相談を受け、解決したことも、解決できずに諦めた用途もありました。
仕事用だけでなく、個人でDIYでも使える発泡ウレタンは、断熱の使いみちだけでなく、止水剤や防水剤や接着剤や気密剤としても活用できます。
巷で発泡ウレタンスプレー缶はウレタン断熱材として売られています。ですが、なんと言っても本当の技術的価値は「発泡接着ができる」といった珍しい特長と言えます。
一般の方々には分かりにくいと思いますが、発泡ウレタンは泡が膨らんで接着して固まるというユニークな特徴を持ちます。
逆に、発泡しなかったら単なる接着剤ですのでユニークではありません。
発泡するので少し幅のある空洞、丸いところでも凹凸でも波板でも発泡接着で充填ができます。
壁の石膏ボードとコンクリートの空洞を発泡接着させたり、防水を目的として空洞に発泡ウレタンを充満させてたり、固定とかにも使えます。
瞬間接着剤やテープでは施工できないような厚みや幅のある隙間の接着とか、奥まっていてコーキング剤では流動施工できないところの接着充填、凹凸、にも使えます。
「知っていればこそ」ですが発泡ウレタンスプレー缶の発泡接着するという特長が、民間や公共の仕事でも役立つ場面は意外に多くあることでしょう。
値段は二千円前後で使える商品です。
各メーカーによって数百円ほど値段が高い安いがありますが、実はそんなことはどうでも良い話です。
安物はやはり安物です。とは言っても値段が高いものだからといって品質や人的サポートがよいわけでもないです。
やはり、流通改革ありきです。
無駄なマージンをかけずに物を消費者に提供する販売手法とその努力がベースかも知れません。
今の時代は自分で情報を入手できるインターネット社会です。
店員や販売商社などに購入相談をしなくても、ネット販売で自分好みの発泡ウレタンのスプレー缶を学んで、見よう見まねですが、正しく使えることでしょう。
昔とはだいぶ変わりました。
もしかしたら、発泡ウレタンは面白い材料なのかもしれません。
もしかしたら、発泡ウレタンはアスベストのように淘汰される化学品なのかも知れません。
まだまだ、化学品なので、人体や環境への隠れざる悪さ、業界や各メーカーの開発不足、販売者のアドバイス不足も多く残っていることでしょう。
わかりません。
長年、発泡ウレタンの技術を信じた1人として発泡ウレタン商品の普及啓発を全力で試みていましたが、ブログ記事はこれで最終話となりました。
長い間、ありがとうございました。